覆水盆に返らず

無口な先輩がいる。
彼がある日、私が憧れるお姉さんに馴れ馴れしく話しかけているのを見て以来、勝手に嫌いだった。
その人と"いつも一緒にいる友人"が休んだ日の昼休みを狙って馴れ馴れしく話しかけに行くのを2、3度見かけた。
無口や大人しい人間が悪いことではないが、
全くと言って良いほど雑談しているところを見かけないような人間が、
そういった行動をするその様は、とても、とても浅ましかった。
それ以来、ちょっとしたことなども、密かに腹立たしく思っていた。
表向きは丁寧にしていた。
実際接しているときは嫌いだという感情も特になく、普通に接することは出来た。
それから数ヶ月経ち、その先輩は先週の金曜から急に来なくなった。
そして昨日、クビになったことを知った。
なんでも、仕事中に寝ているところを度々色んな人に目撃されて、
そう言った人の間では幾度か話題にも出ていたらしい。
こういう人間だったのだ。
浅ましい奴だと思いながらも、
「私がそのお姉さんのことが好きだから、穿った見方をしているのかも知れない。浅ましいのは自分自身かも知れない。」
などとも思い続けていた。
しかし、こういう人間だったのだ。
やはり私の感じたものはおおよそ正しかったのではないだろうか。
しかし私は嬉しい、ざまあみろと言った感情はあまりない。
一日経って落ち着いて、正直そういった感情も少しあることは認める。
昨日は全くなかった。とても驚いたので。
知った直後に感じたのは、恐怖である。
好きな人とある日突然会えなくなる恐怖。
もしある時、痛みも苦しみも恐怖もなく私が死んでしまうならまあ良い。
しかし、病気や大怪我、好きな人が辞める、等々、突然会えなくなる苦しみに恐怖をとにかくとてつもなく感じた。
恐ろしくて仕方ない、正に生き地獄になるだろうと思った。
そして私はとりあえず初心に返り、仕事を意識してもっと真面目にするという、出来ることをすることにしたのだった。
他に出来ることがあるだろう、告白しろ?
結果を知ることはそれもまた別の恐怖である。
全く、情けないものだ。